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距離が近すぎる時代の「推し方」について

思想

 



こんばんは。久しぶりにこのブログを開いた。
しばらく書いていなかったが、戻ってきた理由はシンプルで、書きたいことがあったからだ。

今回のテーマは、近年話題沸騰中の日本のアイドル文化について。
一人の若者として、そして一人のファンとして、少しだけ自分の考えを言葉にしてみたい。

自分もアイドルを応援している。
いわゆる「推し」がいる側の人間だ。

そしてつい先日、チェキ会というイベントに初めて参加してきた。
アイドル本人と至近距離でツーショットチェキを撮影できて、ほんの少しだけ会話もできる、あのイベントだ。

結論から言うと、めちゃくちゃ良かった。
夢に見ていた推しが目の前にいて、同じ空間に存在している。その事実だけで、十分すぎるほど幸せだった。

ただ、その幸福の裏で、ひとつの感情が静かに渦巻いていた。

こういうイベントに参加し続けたら、自分の「推し方」は変わってしまうのではないか、という感覚だ。

自分は、アイドルとファンの間には、ある程度の距離や区別が必要だと考えている。
同じ空間を共有することはあっても、ステージと座席という境界は、やはり意味を持っていると思う。

しかし現代のアイドル文化は、その距離がとても近い。
いい意味でも、悪い意味でも。

例えば、チェキ会のようなイベントに何度も参加していれば、アイドルに認知される可能性もあるだろう。
それ自体はとても嬉しいことだし、否定するつもりはまったくない。

ただ、もし認知されることが当たり前になったとき、
ライブに行く理由が少しずつ変わってしまうのではないかとも思う。

「今日は気づいてもらえるだろうか」
「前と同じように反応してもらえるだろうか」

そんな感情が生まれたとき、
純粋にライブそのもの――曲や歌、パフォーマンス――を楽しむことはできるのだろうか。

ここで一つ、たとえ話をする。

毎週欠かさず聴いているラジオ番組があるとする。
お便りコーナーがあって、ただ聴いているだけでも十分楽しい。

ある日、試しにお便りを送ってみる。
すると、「読まれるだろうか」という感情が必ず生まれるだろう。

このとき、以前と同じようにその番組を楽しめるだろうか。

自分が感じているのは、こういう種類の変化だ。

もちろん、これが良いとか悪いとか、そういう話ではない。
現代のアイドル文化には、さまざまな楽しみ方があって、そのどれもが成立している。

ただ、その空気感を、自分なりに解釈してみたかった。

自分自身としては、チェキ会のようなイベントには、毎回ではなく、たまに参加するくらいがちょうどいいのかもしれないと思っている。
それでも、もしアイドルに認知してもらえるなら、それ以上に嬉しいことはない。

ただ同時に、
アイドルとファンは、ステージと座席で区別されている存在である、ということは、どこかで意識していたい。

距離が近い時代だからこそ、
自分なりの距離感を考え続けることが、「推す」という行為には必要なのかもしれない。

今回は、約四か月ぶりの投稿ということで、若者文化についていわゆる「アイドル文化」について現場の視点からお話してみました!
今の日本では何に若者は熱中し、何が若者を突き動かしているのか。このようなことを感じていただける記事になったら嬉しいです!
感想・ご意見お待ちしております。


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