" /> 八方美人と道化師:演じてしまう学生 | Ken Log 

八方美人と道化師

 こんばんは。前の投稿から10日ほど経過し、書く意欲が低下していると指摘があっても否定のしようがない。一つ言い訳をさせていただくと、年度末試験があった。学生の身分たるもの、いつの時代も苦しめられるのです。奴に。しかし、この試験を終えた今、一足先に春を満喫したいと思う。学生の特権、いや、大学生の特権の春休みに突入した。この期間は、たくさんの書に触れ、映画に触れ、そしてうま味も舌に触れ、有意義な時間を過ごす予定である。そんな中、本日は11時に起床。有意義な時間、私にはまだまだこれからである。

 二本目の投稿内容の相場はわからないが、この一年の振り返りとやらを軽くしてみる。普段は過去は振り返らない主義だったりするので、一年度が終わるこのタイミング以外で振り返ることはあまりない。誰向けの誰得かはわからないが、このブログ開設者の変態的な側面のルーツを少しでも感じ取っていただけたら嬉しい。

 上京組である私を驚かせるのに、東京駅の人混みは十分であった。スーツケースを片手に案内表示板を見るのに必死だった当時の私には、人混みかつ密閉空間に近いあの東京駅は、歯医者さんの次に行きたくない場所であった。今は歯医者さんを抜いて一位だ。そんなことは置いておいて、田舎出身の私は東京という大都会にフルカラーの憧れを抱き、少しあどけなさが拭えないスーツを着用し入学式場へと向かったのを昨日のことのように覚えている。未だに瞼を閉じると、式場へ向かう途中のパン屋さんが描写される。後日大学の友と訪れたが、あそこの塩パンは春の初心を思い出すのに持ってこいの味。その友とは今ではあまり関わりがない。いや、関係を切ったというべきか。
 そんな大学入学から今日までの約10か月。皆様が想像するような「大学生」と捉えてもらっても差し支えないだろう。

 一つ、この数か月で自身に変化があったとしたら自己認識である。というより他人との関わりあいだろうか。今までの環境とは大きく変わり、情報戦の戦場である大学は、とりあえずの友達が多すぎる。友達ともいえるか怪しい。そんな関係の人は今までもいたが、大学は母数が増える分この人たちの割合も相対的に増える。自分で言うのも引けるが、自分は八方美人をよくしてしまう性のようで、周りからは好印象に思われることがある。実際に他人からも聞いた話だ。しかし、こうも八方美人をしてしまうと他人からの評価を気にしてしまうのである。いつしか、この人が自分のことを失望するのは時間の問題なのか。もし今こんな発言をしたら相手は自分から離れてしまうのではないか。ということを考えてしまう。これらは八方美人をしていない人でも考えることかもしれないが、どうも私は考えすぎてしまう性のようで、表面的に良い顔をして接するたびに、自傷のような精神的ダメージが蓄積されていくのである。めんどくさい性格だ。

 さらにめんどくさいのが、相手の行動に裏切られたなど、被害的な思考をしてしまうのである。表面的に良くしているために、人と接するときはまず初めに自分を殺す。そして、その場にあった必要とされているであろうキャラクターを演じる。そのために、相手のためを思ってやった行動が自分の思い通りにならないレスポンスであると相手に非がある、と決めつけ不信になるのである。どうだ、ここまでくると、八方美人では止まらず、自己中心的な道化師ではないか。笑顔を貼り付けたまま、内側では拍手を求めている道化師ではないか。これは大学に入ってから始まったことではないが、高校を卒業した後の若者にとって、新環境での暮らしはこの捻くれた思想を加速させるのに最適であった。前述の文もこのような理由が大きい。

  そんななか、自分の思想を留めてしまうといよいよ壊れてしまうと悟った。そうして、ここ、ブログという自分の領域を展開し、考え過ぎてしまう思想を吐き出してしまおうとブログを開設してみたといううわけだ。ブログ開設をしてまで発信したい理由、それでもまだ人間を諦めていない根拠を近々語っていけたらと思う。私はいつも、誰かの評価で光る銀貨に飢えている。

 二本目にしてかなり尖った内容で申し訳ない。しかし、今日はこんな自分の思想を言葉にして整理できただけでも気持ちよく床に就ける。そう、これは完全なる自己満ブログの始まりなのである。それでも、現代の若者、z世代の思想として読んでいただけたら幸いだ。

 あなたは、人と接するとき自分を演じてしまうことがありますか?よければ感想や似た経験を教えてください!

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